2012/01/29

「海のおっちゃんになったぼく」の科学的考察

海のおっちゃんになったぼく 」を読んだ。読んだのは年末、正月の二回。せっかく何十年ぶりかに絵本を読んだので感想文を。

技術書以外はあまり読まないのですが、Perl Mongersの集まりKansai.pm #13でお会いしたなみかわみさきさんが絵本の作者(且つエンジニア)であることを知り、翌年のKansai.pm #14で再びお会いした時に「Amazonで売ってる」と聞いて買って読んでみた次第です。大垣書店には置いていませんでした。

17歳でこんな話を作れるというのは素晴らしい才能やなぁというのが、ひとつ目の感想、大人になって読む絵本からは普段考えもしない事が思い浮かび、全く関係のないであろう物事と連結するなぁ、というのがふたつ目の感想です。

そしてみっつ目の感想、というか考察は以下に、ネタばれの可能性あり
前提として僕には物理学含め言及してる事柄の専門知識はありません。

かんそうぶん

結論から書くと、拾ってきた「海」は四次元空間であると言えるでしょう。これはドラえもんの「どこでもドア」を想像すると分かりやすいと思います。

つまり、拾ってきた小さな海がどんどん増える現象は、ごく小さなどこでもドアの出口が開いたまま海の中に繋がっている状態というわけです。海の増える速度から考えると、それほど水圧の高くない、どこか遠くの海の浅瀬に繋がっているのでしょう。

当事者である「ぼく」の海が増え続けることへの恐怖心は、ドラえもん「バイバイン」の、最終的には宇宙の彼方に葬り去ったくりまんじゅうに対峙するのび太のそれと同じものであったかもしれません。

最終的には捨て海になるのですが、海水の総量が増え続けて日本沈没という事態になる心配は、おそらくないでしょう。前述の通り、海のある地点から別の地点へ水が移動しているだけですので、環境に影響を及ぼすほどの変化はないものと思われます。

同じように浅瀬と浅瀬、沖合の浅い部分と深海を繋ぐ経路が他にもあるはずです。寧ろ、このような二点間における海水の移動が海流を作っている、とも考えることが出来るのです。

捨てる場所に関する問題点

一方、危惧すべきなのは海を捨てる場所です。物語では拾ってきた海は元の海にリリースされていますので、以下は杞憂ではあるのですが。

例えば琵琶湖や深泥池にリリースした場合、これらはいずれ淡水では無くなり、汽水を経て、内陸の海となるでしょう。当然淡水魚は死滅してしまいますし、ニゴロブナもブラックバスもいなくなります。

盆地にリリースすることも当然ながら環境破壊となります。四方を山で囲まれ、流出する河川のない盆地であれば海水による浸水、水没は当然の帰結となります。また、流出する河川が在る場合に於いても、土壌にしみ込み、周辺の塩分濃度が上昇することによる塩害が予想されます。

有効活用

しかし、増え続ける海を適切に管理することが可能であれば、次のような有効利用が考えられます。

淡水化技術が必須ではありますが、砂漠地帯の緑化に必要な水の確保・農地化に於て大量の水を輸送するコストが抑えられます。増え続ける海水の管理は石油の備蓄用コンテナなどを使えばよさそうです。

海水を海水のまま利用するケースとしては、原子炉で使う冷却水がよいでしょう。一定量を保つようにしておけば汲み上げる必要がありません。

同様に水族館でも活用可能です。現場の事は知らないのですが、同じく一定量を保つようにしておけば水の入れ替えの手間が軽減されると予想されます。

まとめ

このように問題点と有効活用方法を取り上げてみました。「ぼく」の「お父さん」はこれらを考えた上で、やはり元いた場所にリリースする事が最善であると判断したのでしょう。

そもそも生命の誕生となった海、畏れ敬うべき大自然である海、べらぼうに年上の海を人間が飼うとか利用するといった考えはおこがましいのかもしれません。

以上、スケールも小さくてかわいくもなんともない、しかも絵のあたたか〜い雰囲気とは全く合わないであろう感想文で作者に怒られそうですが、読んだ時(海が増え出したとこ)に「なるほど、四次元空間の話か!」と思ったのでブログに書きました、ざぱざぱん。

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