ここ数年、8月(学校が夏休みの間)は仕事の都合でサーバ関連業務(移転とか新設とか)が多くて日程を確保(お客さんの都合に合わせるので)しにくい、9月は遠方の墓参やら自分とこの法事(後述)やらで矢張り日程を確保(お寺さんの都合に合わせるので)しにくいこともあり、参加出来ない年が続いていました。
とは言え、登壇するとなれば会社やお客さんやお寺さんに都合をつけてもらえる理由になるかと思って応募はしたのですが、高い競争率の前に敗退してしまいました。
さて、今から五年前ですが、僕が初めて参加したYAPC::Asiaは2010年10月に東京工業大学で開催されました。2010年のYAPC::Asiaは初参加であり、初登壇した回でもあり、僕にとっては非常に思い出深いものです。
ここ数年の応募トークと競争倍率を見れば俄に信じがたいのですが、確か2010年の7月か8月の時点で「トークの応募数がちょっと少ないから、みんな応募してみて!」といった感じのツイートが僕のタイムラインに流れてきました、たしか。
その年の3月、それよりも少し前からPerlをちゃんと勉強してbounceHammerってものをオープンソースでリリースしていました。前述のツイートを見て、最初は応募してみようかどうしようかという迷いがありましたが、PerlのイベントやしPerlで作ったものが丁度あるし、何事も挑戦やし失敗しても死にはせんよなって事で駄目元で応募してみて、無事に採用していただきました。
激動の一週間
9月最終週、それに関する記事をSoftwareDesignの担当者さんに納めました。
そして10月、早世してしまった僕の学生時代からの友人の墓参の為に高知県まで行ってきました。そこからが激動の一週間でした。
- 2010/10/10(日) 墓参のために高知県へ→午後に到着し墓参→高知市内で会食と宿泊
- 2010/10/11(祝) 午前九時過ぎ親父が他界との連絡を受け急遽高知県を出発→夕方に実家到着
- 2010/10/12(火) 喪主になる→通夜→弔問客対応とか→徹夜のローソク番
- 2010/10/13(水) 葬儀で喪主として挨拶→親父を送り出す→初七日法要
- 2010/10/14(木) 葬儀の後始末とか(細かい事は覚えていない)
- 2010/10/15(金) 葬儀の後始末とか続きを弟に丸投げして午後から新幹線で東京へ
- 2010/10/16(土) YAPC::Asia二日目、人生初登壇、発表終了後すぐに京都へ向かう
- 2010/10/17(日) 京都に帰ってきて夜中のラーメンを食べる
- 2010/10/18(月) 記事を書かせてもらったSoftwareDesign誌発売
という一週間でした。
東京に着いた当日、つまりはYAPC::Asia Tokyo 2010初日は懇親会の開始には間に合いそうやったのですが、元々方向音痴で敷地内で散々迷って懇親会の途中からの参加となりました。
YAPC::Asia Tokyo 2010二日目の本番、自分の登壇日が葬儀の翌々々日でしたのでキャンセルせずに済みましたが、事もあろうにVGA出力ケーブルを忘れてしまいました。
最早これまでか、と思っていたところ、なんと会場に居てはった@nekokakさん(以前からTwitterでDBIx::Skinnyについて助言を貰っていた)がPCを貸してくださり、なんとかスライドを映して人様の前でしゃべらせていただいた次第です。
ちなみに翌年参加したYAPC::Asia Tokyo 2011のLTではケーブルは忘れなかったものの、おそらくPCが古過ぎたのか、スライドが投影出来ずに@lestrratさんにPCを貸していただきました。
最早これまでか、と思っていたところ、なんと会場に居てはった@nekokakさん(以前からTwitterでDBIx::Skinnyについて助言を貰っていた)がPCを貸してくださり、なんとかスライドを映して人様の前でしゃべらせていただいた次第です。
ちなみに翌年参加したYAPC::Asia Tokyo 2011のLTではケーブルは忘れなかったものの、おそらくPCが古過ぎたのか、スライドが投影出来ずに@lestrratさんにPCを貸していただきました。
YAPC::Asiaが僕にくれたもの
YAPC::Asia Tokyo 2010が初参加のYAPCであり、初登壇でもあり、そしてこの初登壇はYAPC初登壇であると同時に人生初登壇でもありました。そして、YAPC::Asiaからは多くの経験・機会・交流を頂きました。
人生初登壇の機会と経験
実のところ、bounceHammerはPerlで書いておきながら地方の*.pmの、それもKansai.pmの存在すら2010年まで知りませんでした。知らなかったのでKansai.pmで発表する経験もないままYAPC::Asia Tokyo 2010で発表する運びとなったので、当時も今も同じ感想ですが、なんと無謀な事をしたのかという一言につきるかも知れません。
兎に角発表、発表、参加するからには発表
とはいえ、登壇の機会を頂いたのは近年のトーク競争倍率を鑑みると大変ありがたい事であり、非常に貴重な機会となり、そしてそれ以降のイベントや勉強会で何かを発表するという事に対する心理的抵抗が完全消滅する基点となる経験でした。
YAPC::Asia Tokyo 2010が終ってからは京都開催の多いKansai.pmで発表させてもらったり、大阪の海の方で開催されたKOFで発表させてもらったり、近所のはてなさんで開催されたKyoto.pmで発表させてもらったり、兎に角自分が参加する勉強会では何か発表する事を義務づける習慣が生まれました。これは初登壇がYAPC::Asiaという大舞台であったからこそ、母親とはぐれた子猫のようにおとなしい性格の僕が人前でしゃべる事に対して抵抗がなくなったと言える気がします。
話しかける・話しかけられるきっかけ
発表した内容や聞いた人様の発表内容をハブとして、その後の雑談タイムや懇親会で外の参加者さんと話をするきっかけとなりますね。
YAPC::Asiaは2010年以降も参加しました。2010では前述の通りいろいろありすぎて、あまり他の人との交流が出来ずに帰ってきたので2011以降のYAPCではもっとみんなと交流しようと思いました。
しかしながら、僕は独り立ちしたばかりの幼い白猫のようにおとなしい性格なので、やはり自分から誰かに話しかけるってのがなかなか勇気の要るものです。考え方を変えてみれば別に話しかけて無視されようが話が弾まないまま終ろうが死にはしないのですが、それでもやはり、どちらかといえば話し掛けられる方が心理的な障壁が低くて良いですよね。なので少々姑息な手段も含めて、だいたい次のような事を心がけています。
- やはり発表する事こそ王道、トークを募集していたら採用可否に関係なく応募はするべし
- 興味のある分野のトークは聞きに行く、出来れば質問もする
- 懇親会には参加する、お酒が飲めなくても、お料理を頂くだけでもいいから参加する
- そこそこ目立つ服装(下駄を履いていくとかOpenBSDのTシャツ着てBSD派の人に話し掛けられるとか)
- 適度にツイートしておく・Retweetする・★をつける
- 名札にTwitterのアイコンを入れておく(僕は猫アイコンの人を見つけたら猫の話をしに行きます)
- 喫煙者なら喫煙所で火を借りる
懇親会では多くの人がお酒を飲んでいて1.2倍ぐらい気が大きくなっているようでもありますので、上記のような、姑息なのも含めた下準備をしておけば話し掛けやすい・話し掛けられやすいのではないかと思います、僕の経験則で。
こういった事を学ぶ最初のきっかけ、とくに(1)王道たる発表の最初の機会を頂けたがYAPC::Asiaでした。
コミュニティへの参加意欲
YAPC::Asiaはエンジニアのお祭り、この非日常な空間が楽しくて楽しくて、参加すると暫くの間は開発の志気が急上昇したり、コミュニティへの参加欲が増大したりします。こういう内面の高まりは熱いうちに行動するのが最良です。僕はYAPC::Asiaに参加したあとは、会場の喫煙所でお会いした方と飯を食べにいったり、Kansai.pmに参加したり、KOFに参加したり、Perl入学式誕生の場に居合わせたり、東京出張中に開催されたShibuya Plack/PSGI ConferenceやHachioji.pmに参加したりしました。
それと、CPANを言語のハブと見なすなら、初めてCPAN Authorになる最初のきっかけとなったのもやはりYAPC::Asiaであったり、会場でお会いした方々の影響やと思います。
北海道の@xtetsujiさん
最近は仕事の都合とかぶる事がおおく、YAPCはおろか、Perl入学式(大阪)のお手伝いにすら行けていないのですが、今年は既に@xtetsujiさん(以下、てつじさん、普段は東京都内にいてはります)と、なんと三回も京都でお会いしました。
てつじさんはYAPC::Asia 2013で「mod_perlの展望とApacheの超絶技巧」という発表をされた、mod_perlにおいて神レベルのエンジニアさんです。その日の懇親会の後で行ったHUBにて初めてお話をする事が出来ました。
てつじさんについては、それ以前にApache + mod_perlでSMTPサーバを実装した話を「mod_perl温故知新 〜Perl CGIの高速化からメールサーバまで〜」ってスライドで知っていて、数少ないSMTP族の中でもかなり変態(褒め言葉)なお方であると認識していましたので、HUBで交流出来たのが嬉しかったです。
さて、YAPC::Asiaで知り合った方々の中でも、今年既に三回も会って共にお酒を飲んでいるのがてつじさんです。だいたい二ヶ月に一回は京都に来られていて、既に定宿も確保しておられ、そして同じSMTP族(と認識している、僕は)として親近感もあり、また僕が北海道好きでもあることから毎回北海道の話が酒の肴となっています。
去年のYAPC::Asia Tokyo 2014の後に開催されたReject conで発表しはった「今に伝えるメールの技術」に感銘を受け、次にお会いするときはこのスライドを肴にてつじさんとお酒を酌み交わしたいと思っていたのですが、毎回北海道の話を含め他の肴で盛り上がるので実現には至っていません。
今に伝えるメールの技術のスライド、一枚毎にコメント書けるぐらいの共感が在るし今度てつじさんにお会いした時の酒の肴にしたい。 http://t.co/5qbJAYsm6g
— ネコ半径⁴ (@azumakuniyuki) September 5, 2014
てつじさんと僕がお会いした話を含め、京都にきはった話はてつじさんのBlogに詳細が記されています。
最近では8月に飲み会をしました。出会った人とこうしてお酒を酌み交わせる幸せもYAPC::Asiaに頂いたもののひとつです。
— ネコ半径⁴ (@azumakuniyuki) August 9, 2015
プレゼンと落語の共通点
ここで一旦、YAPC::Asiaから話が大きくそれます。
最近、といっても去年からですが、いきつけの銭湯(錦湯・京都市中京区堺町通錦小路下ル)の定休日に月亭太遊さんという若手の落語家さん開催の「ネオラクゴ・フロンティア」という落語会に行って彼とゲストの落語を聞いています。ほぼ毎週落語を聞いているのですが、落語のマクラ(本題の噺に入る前のトーク、という表現でええんかな)と噺の構造は、われわれエンジニア(でない人も)が人前で発表するプレゼンと同じ構造であるって点に気がつきました。
いきなり本題に入るのではなく、先ずは最近の出来事など聴衆が関心を持っていそうな事柄や、広く知られている一般的な事柄から話が始まり、それによって聴衆がリラックスした状態に遷移することによって、円滑に本題へ入る事が出来る、そういうことなんやなぁと。プレゼンの技法は何百年も前に基礎が出来上がってたんですね。
勿論、彼とゲストの落語が面白いから聞きに行くのが主目的ですが、やはり話芸のプロフェッショナルですから、こういった人前で話をする場面において学べる事や勉強になる事も多々あるわけです。
勿論、彼とゲストの落語が面白いから聞きに行くのが主目的ですが、やはり話芸のプロフェッショナルですから、こういった人前で話をする場面において学べる事や勉強になる事も多々あるわけです。
YAPC::Asiaで登壇される方々は人々を惹きつけるような内容を用意出来、多くの聴衆が詰めかける発表者はエンジニアとしても発表者としても優れた能力を持ってはり、そしてベストトーク賞や上位に連なる受賞者の方々は、落語のマクラに通じる発表の技術に長けているんやなぁって思った次第です。
育ての親または乳母としてのYAPC::Asia
無名の人間が作ったソフトウェアが、多少とは言え人々に知られるようになった最初のきっかけこそ、YAPC::Asia Tokyo 2010です。当時、トークの募集に際して、既に応募されている方のトーク概要を拝見しました、「みんなどんな内容を話しはるんかぁ」と。いくつか見ていく中で@kazeburoさんの「CloudForecastの紹介」が印象的で、「ならば自分もバウンスメールを解析するソフトウェアをPerlで作りました!」で応募しようかと思った次第であります。そう捉えるならYAPC::AsiaPerlプログラマーとしての僕の乳母の一人かもしれません。
あれから五年が経ち、コミュニケーション手段としてのメールは滅びつつありますが、多少なりとも需要が(個人としてもまわりのbounceHammerユーザさん、特に海外からも)あるので、現在はSisimai(シシマイ)という名前のPerlモジュールがその後継者となっています。
あれから五年が経ち、コミュニケーション手段としてのメールは滅びつつありますが、多少なりとも需要が(個人としてもまわりのbounceHammerユーザさん、特に海外からも)あるので、現在はSisimai(シシマイ)という名前のPerlモジュールがその後継者となっています。
本業はサーバエンジニアなので、最近使い出したServerspecをいじる都合もあり、Rubyにも手を出していまして、より理解を深める為に自分が構造を把握しているソフトウェアをRubyに移植しようかと、つまりはRuby版のシシマイを作る計画もあります。
そういう点では、今年のYAPC::Asiaに来られたRubyの父上ことMatzさんにも会ってみたかったし、Mail::DeliveryStatus::BounceParser(に加えてPerlで何かを作るときは必ずと言っていいほど彼の作ったモジュールが必要になる)Ricardo Signesさんにもお会いしたかったなぁと思います。
僕のYAPC::Asia 2010が五年を経て閉幕
参加した全てのYAPC::Asiaからはエンジニアとして必要な事や技術、交流、経験、挑戦、発表の技術、お酒を酌み交わせる友、いろんなものを頂きました。YAPC::AsiaはPerlのお祭りを超越し、Perl以外の言語やソフトウェア・ハードウェア・インフラをも含むエンジニアの、そしてエンジニアの周りにいる人々のお祭なんやなぁと改めて認識しました。
そして、この記事を書き始める前に、過去に書いた記事一覧を見て気がついたのですが、未だYAPC::Asia 2010に参加して発表した事をBlogに書いてませんでした。クロージングで、あるいは参加出来なかった年はタイムラインで「ブログを書くまでがYAPC::Asia」と何度も聞いています。つまり、この記事を以て僕のYAPC::Asia 2010は閉幕って事になります。
ありがとうYAPC::Asia !!!
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