2012/07/23

祇園祭2012・近所と室町通の山鉾

毎年一匹ずつ増える鯉@誉田屋源兵衛さん
毎年七月は祇園祭です。お客さんが多くて派手な宵山〜山鉾巡行までが最もにぎわいますが、山鉾巡行が終わっても祇園祭は七月末まであります。

近所と言うか周りは鉾町に囲まれているので、山鉾が建ち始めてから巡行が終わるまでは外出すると必ず山鉾があります。宵山が始まると外出するのも大変なぐらい人が溢れるのですが、今年は火がかかってて鉾に上るのが憚られるので、そのかわりとして四条以南、烏丸以東の見た事ない山鉾も見てきました。

祇園祭2012・近所と新町通の山鉾の続きです。


黒主山

黒主山もわりと近所の山鉾で、室町通三条下ルに建てられます。黒主山の向かい側には、誉田屋源兵衛という帯屋さんがあり、祇園祭で賑わう期間だけ登り鯉の織物が外に掲げられています。鯉は毎年一匹ずつ増えるそうで、今年は274匹いるそうです。

京都新聞のサイトには次のように紹介されています。油天神山が梅なら、こちらは桜を松と共に飾り、華やいだ雰囲気をかもす。謡曲「志賀」のなかで、六歌仙の1人、大友黒主が志賀の桜を眺めるさまをテーマにしている。杖をつき、白髪の髷(まげ)の翁の人形は、いかにも品格がある。失火で町家(ちょういえ)を失ったのを機に、5階建てビルにし、祭りのときだけ町会所にするのは時代をさきどりしたと話題になった。山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になる。 

黒主山では、厄除け粽の食べられるバージョンが売っています。

浄妙山

浄妙山もわりと近所の山鉾で、六角通烏丸西入ル(室町東入ル)の位置に建てられます。

少し六角通の北側に寄せて建てられるので、なんとか車が通れるであろう幅が残ります。銭湯に行く時は必ず横を通るので、北観音山と同じくらいよく見る山鉾です。

京都新聞のサイトでは次のように書かれています。 橋弁慶山に似て、アクロバティックな人形の姿が人目を引く。宇治橋の上、宇治川の合戦。一来法師が三井寺の僧兵・浄妙の頭上を飛び越して先陣をとった故事にちなむ。揺れる山の上で人形の上にさらに1体を乗せるのは強度の点で難しいが、1本の木で上下を繋ぐアイデアは素晴らしい。上下の人形を、上さま、下さまと呼ぶのもゆかしい。浄妙のよろいは室町時代のもので、重要文化財。 

僕の知る限り、厄除け粽の値段が一番安い(400円)とこです。

鯉山

鯉山もわりと近所の山鉾で、室町通六角下ルに建てられます。四条室町にある煙草屋へ、あるいは銀行に行く時は必ず室町通を通るので、鯉山もよく見る山鉾の一つです。

京都新聞のサイトには次のように書かれています。前掛けや見送りは16世紀のベルギー製のタペストリーで、重要文化財に指定されている。ギリシャの叙事詩に題材をとって人物や風景が描かれており、山鉾きっての貴重なものだ。人物でなく、魚をテーマにするのは山のなかで唯一。竜門の滝をのぼる鯉は竜になるとの言い伝えで、木製の鯉が勢い良く水しぶきを上げる様は勇壮。

鯉つながりと言う事で、カープファンに人気のある山鉾であるという噂を耳にした事があります。

山伏山

山伏山は鯉山の隣町、室町通蛸薬師下ルに建てられる山鉾です。

やはり室町通なので煙草屋や銀行へ行く時は必ず横を通ります。文字の構成が山本山と同じですが多分関係ないです。

京都新聞のサイトには次のような紹介が書かれています。山に飾る御神体が山伏の姿をしているので、この名前がある。前(さき)の祭りでは一番北の山。役行者山と同様、当時民間信仰として人気のあった修験道・山伏から着想された。正面の水引は、雲中の竜、青海波と麒麟を精緻な刺しゅうで描いた中国からもたらされた豪華なもの。見送りも中国・明時代のものとされる。

山伏山も上がって御神体を見る機会があったのですが、火がかかっているので遠慮しておきました。

霰天神山

霰天神山は蛸薬師通室町西入ルに建てられる山鉾です。新町通と室町通の間なので山鉾の密集地帯です。霰は"あられ"で、火事除けの御利益があるそうです。

京都新聞のサイトでもこの御利益について、次のように紹介されています。永正年間、京都が大火にあった際、急に霰が降り、たちまち猛火は鎮火したが、霰とともに小さな天神像が降りてきた。そんな由来から、火よけの神様として祀られたのがおこり。霊験はあらたかで、多くの山鉾が焼けた天明、元治の大火にもこの山だけは残り、町の誇りになっている。「雷(らい)よけ火よけのお守は、これより出ます…」。宵山に子供たちが歌いながらお守授与の受け付けをする。檜皮葺きの立派な社殿が山に乗る。

浄妙山と同じく、霰天神山も道の北側に寄せて建てられるので、車がなんとか通れる幅が残ります。昼間、露店にビールや酒を配達するトラックが通っているのを見ました。

菊水鉾

菊水鉾は室町通四条上ルに建てられる鉾です。鯉山、山伏山と同様に室町通にあるので、煙草屋や銀行へ行く時は必ず横を通ります。

京都新聞のサイトでは次のように書かれています。謡曲「菊慈童」から着想された鉾。魏の文帝の勅使が薬水を訪ねて山に入ったところ少年に出会う。聞けば、少年は 700年前に、王の枕を誤ってまたいだのが原因で都を追われた。以後、普門品の偈を甘菊の葉に記しておいたところ露が滴り、この水を飲んで不老長生したという。慈童は、この薬水を勅使に献じた。昭和28年に復興。鉾頭には天に向いた16菊。この鉾に限り「菊水」と篆書が掘り出した額がつく。 

ここの御利益は不老長寿、商売繁盛らしいので、会社玄関に飾る来年の粽は菊水鉾にしようかと思います。また岩戸山と同じくミニ粽なるものが売られているのを宵山の昼に見かけました。

鶏鉾

鶏鉾はいつも行く煙草屋の近所、室町通四条下ルの殆ど綾小路交差点近くに建てられます。

今年初めて見に行ったので、宵山の様子だけ写真に撮りました。

京都新聞のサイトによれば、鶏鉾は次のようなものとあります。中国古代の伝説「諫鼓」、天の岩戸の永世の長鳴鳥の故事にちなむとも。「諫鼓」は、暦を制定した伝説の聖天子・尭帝が、宮廷の外に太鼓をすえ、政治に不満があればたたかせ、木を立てて、訴えを書かした。世は治まり、太鼓は苔を生じて鶏が巣をつくったという。鉾頭は、紅白を互い違いに巻いた三角枠で、なかに同の円板が挟まれる。3つの角には紺いろの苧束の房がつけられる。中ほどに舟を担いだ人形が飾られる。

提灯の文字が"鶏"ではなく"雞"になっています。

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