2012/07/21

祇園祭2012・近所と新町通の山鉾

毎年だいたい同じものが建つのですが、近所なので今年も山鉾を見てきました。今年は火がかかっていて山鉾に上れないかわりに、四条通以南、烏丸通以東の山鉾も見る事にしました。

近所と言うのはどのくらい近所かと言うと、北側以外全部山鉾に囲まれているぐらい近所です。あと、いつも車を置いている駐車場はコーンが置かれて閉鎖されます。

祇園祭は7月1日〜31日までで、七月に入るとすぐに右の写真のような何かが四条通の歩道に沢山設置され、お祭りの雰囲気を作ります。

北観音山

北観音山が午後二時頃に山鉾巡行から帰ってきたとこ
北観音山は一番近所の山鉾なので最初に触れます。新町通六角下ルに建てられるので、郵便局に行く時は必ず横を通ります。

北観音山は籤を取らない山鉾で、後祭の先頭と決まっているのですが、今年は橋弁慶山が先頭で、その次に北観音山でした。

京都新聞のサイトには次のように説明されています。 北観音山 応仁の乱の時代から隣町の南観音山と、1年おきの交代で山を出していたといわれる。隔年にでるというのは例がなく、この両山だけ。もとはかき山だったが、後に曳き山になった。楊柳観音像と韋駄天立像を安置する。鉾ではないので真木の代わりに真松を立てる。松は、毎年鳴滝から届けられ、籤で所有を決めている。史料には「左三の枝に尾長鳥あり」とあるが、いまは鳩が留まる。北観音山に、尾長鳥が留まっている。

北観音山は他の山鉾と違って、お守りとか粽とか手ぬぐいとか扇子とかは売っていません。粽は関係者のみに配られるものがありますが、基本的にグッズの販売はやってないそうです。ロゴマーク(紋?)は六角形です。

南観音山

南観音山が巡行から帰ってきて北観音山の家(?の前を通過するとこ
北観音山の隣町、新町通蛸薬師下ルに南観音山は建てられます。名前からして北観音山とは姉弟か夫婦かカップルか親戚かって感じですが、詳細は知りません。

南観音山も籤取らずで、後祭巡行の一番最後と決まっていますが、今年は140年ぶりに籤取らずの順番を変更したそうで、29番目の巡行でした。

京都新聞のサイトには次のように記されています。 俗に「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに翌日の巡行の無事を祈って“あばれ観音"の行をされる」といういい伝えがあり、「あばれ観音」の別名がある。楊柳観音像と善財童子像を安置する。楊柳観音は、三十三観音の筆頭とされ、姿を変えて、手に柳を持ち薬師観音と同様に衆生の苦難を救う。この山の楊柳観音は頭から袈裟をつけ趺座(ふざ)する。

宵山では山鉾の手前で少女たちが「ろうそくいっちょう献じられましょう〜」って歌いながら蝋燭売りをやってはります。ロゴマーク(紋?)は"百"です。

放下鉾

巡行から帰還して北観音山町内を通過する放下鉾
南観音山をもうちょい下がったとこ、新町通四条上ルに放下鉾は建てられます。去年の粽はここで買いました。

放下鉾も籤取らずなので毎年21番目と決まっています。

京都新聞のサイトには次のように書かれています。 鉾の名は真木のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祀るのに由来する。鉾頭は日・月・星三光が下界を照らす形を示し、その型が洲浜に似ているので別名「すはま鉾」とも呼ばれる。かつては長刀鉾と同様「生稚児」であったが、昭和4年以降稚児人形にかえられている。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下より三光丸と命名せられ、巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞いができるように作られている。

ロゴマーク(紋?)は○が三つ重なった形で、ひっくり返すとかなり有名なネズミの輪郭に似ています。

船鉾

新町姉小路下ルあたりを通過する船鉾、後ろには舵もついてる。
船鉾は新町通綾小路下ル(四条通の一本南)に建てられます。その名の通り舟の形をしていて、今年始めて見ました。

船鉾も籤取らずで、前祭の一番最後(23番目)と決まっています。

京都新聞のサイトには次のように記されています。『日本書紀』の神功皇后の新羅出船に由来する。屋形内に飾られた神功皇后の人形は、面を着け、頭に天冠を頂き紺金襴の大袖に緋の大口、緋縅の大鎧を付けている。応仁天皇を生んだゆかりから、御神体に、晒を巻いて置き、巡行後に安産祈願の御腹帯として授与する習慣がある。現在の船鉾は、宝暦年間に計画され、天保年間に完成。船頭に「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥を飾る。高さ1.3メートル、両翼端2.7メートル。

ロゴマーク(紋?)は"船"の漢字です。船鉾の隣町、新町四条下ルには再来年(2014年)大船鉾が復活するそうです。

岩戸山

新町姉小路下ルあたりを通過する岩戸山
岩戸山は船鉾の南隣、新町通仏光寺下ルに建てられます。山ですが、北観音山と南観音山と同じく囃子方が乗っている曳き山です。船鉾と同じく今年始めて見ました。

岩戸山も籤取らずで、22番目と決まっています。前祭の最後は、放下鉾→岩戸山→船鉾という順番で巡行します。

京都新聞のサイトには次のように書いています。『古事記』『日本書紀』に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を故事にもつ、曳き山。「天の岩戸」は、素戔鳴尊の乱暴に天照大神が岩戸に隠れられたため、天地は常闇となり、八百万神は安の河原に集まって対策を練り、常世の国の尾鳴鳥を鳴かせ、鏡を鋳造し、500個の勾玉をつくり、天香山の榊を立て、天鈿女命が舞った伝承である。屋形内に、伊弉諾尊、天照大神、手力男命の3体の人形が飾られる。

ロゴマーク(紋?)は"岩"の漢字です。

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